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定年後は意外と楽しい

名刺よサヨナラ、気のおけない仲間がうれしい

イメージ:定年後は意外と楽しい

リタイア後は意外と楽しい意外と気楽
(研究所調査より)

一般に、定年は「辛い」「苦しい」「寂しい」と言われています。現在の社会的な常識になっているということもいえるでしょう。もちろん人生がどの年代でも常にそうであるように、定年後はそれなりに誰しも辛いことや困りごとはあります。
しかしながら、そういうことがありながらも昨年(2023年)に実施した調査(全国男女40-70代 2250s)では、60・70代で、「リタイア後」は「意外と楽しい」「意外と気楽」「会社がないのは気が楽」「経済的にそれなりにやっていける」という割合が55.8~77.5%とかなり高く、全体に年代別でみると60代が高く、70代はさらに高いことがわかりました。40・50代のリタイアを控えた世代が半数程度とその差の大きいこともわかりました。
ちなみに、この調査で「リタイア後」としたのは、「自営業」および女性(とくに専業主婦)の「子育て卒業」にもあてはまるようにしたためです。

リタイア後①「意外と楽しみか」

グラフ リタイア後①「意外と楽しみか」

[A]意外と楽しい(楽しみ)と[B]意外に辛い(辛そう)で、[A]に近い計が、60代で66.7%と高く、70代は77.5%とさらに高くなります。これに対し、40代は54.7%、50代は55.2%と約半数にとどまっています。

リタイア後②「意外と気楽か」

グラフ リタイア後②「意外と気楽か」

[A]意外に気楽(気楽そう)と[B]意外に苦しい(苦しそう)で、[A]に近い計が、 60代で66.7%と高く、70代で77.5%とさらに高くなります。これに対し、40代は51.7%、50代は53.4%と①の「意外と楽しい」同様に約半数にとどまっています。

リタイア後③「会社がないのは気が楽か」

グラフ リタイア後③「会社がないのは気が楽か」

[A]会社(仕事・育児)がないのは気が楽(気が楽そう)と[B]会社(仕事・育児)がないのは辛い(辛そう)で、[A]に近い計が、 60代で72.5%、70代で77.3%と高い割合です。60代よりも70代がさらに高くなっています。これに対し、40代は66.8%、50代は69.1%とやや低い傾向です。

リタイア後④「経済的にそれなりにやっていけるか」

グラフ リタイア後④「経済的にそれなりにやっていけるか」[A]経済的にそれなりにやっていける(いけそう)と[B]経済的に苦しい(苦しそう)で、[A]に近い計が、 60代で55.8%と半数を超え、70代で67.0%とさらに高くなっています。これに対し、40代は37.3%、50代は40.8%と半数をかなり下回ります。これは、年金生活が辛いはずだ、という意識が40・50代でかなり強く、反対に、60・70代もほかの設問に比べるとやや低くはなるものの、半数を超え70代では6割を超える割合になっています。

未来ビジョン研究所では、数年前からこの提起を行って来ましたが、昨年の全国的な定量調査で、あらためて「リタイア後は意外と気楽」ということが検証されました。もちろん、リタイア後は生活習慣病などの体の不調があったり、親のこと、子供のことなどで悩み事や困り事も出てきます。また、人生スゴく楽しいですか、と聞かれて、そうだと答えられる人もきわめて希だといえます。
しかしながら、「意外」と楽しいか・気楽かと聞かれると、片方でいろいろありながらも、 「意外と楽しい・意外と気楽」と答える割合が多かったわけです。その理由を次のパラグラフで明らかにします。

定年後は意外と楽しい

一般的には、「定年後は辛い」ということが常識となっています。その理由はおよそ次のようなことです。

  • おカネが入ってこなくなるので辛い。とても年金ではやっていけない。
  • 何もやることがなくなるので辛い。毎日が日曜日で生きがいもなく暮らすしかない。
  • 終わった人は名刺もなく居場所もない。
  • 過去に生きるしかなく、毎日が暗い。
  • 健康寿命も短く、生活習慣病を患って要介護に向かって行く。

こうした辛い定年生活のなかでなんとか楽しみをみつけるしかない、仕事が続けられる人は幸せだ、というようなところが一般的な定年観だと思われます。一部あたっていなくもない面もありますが、現実的には、かなり様相が異なるといえます。

こうした定年観は

  • 現在の75歳以上の主に団塊以前の世代で語られた定年観が残って、いまだに常識になっている
  • 現役、とりわけ40代は日々大変なので、その延長で考えるとリタイア後はすごく大変だし辛いだろうと思う

そのため、一般的に「定年後は辛い」ということが常識になっていますが、現実の定年後はそうでもない、といえます。

実際には、

-毎日会社に行かなくて済むので気が楽

リモートワークで実感している人もいると思います。朝から満員電車に乗って行かなくていいというのはそれだけで気分的に楽です。また、会社に行っていればタスクがあるのでそれをこなさなければ、ないし達成しなければというプレッシャーが常にありますが、それがないのはやはり解放感があるわけです。

-年金が入って来るのはありがたいし、子供が独立したのでなんとかなりそう

おカネは給料が入ってはこなくなるわけですが、二か月に一度年金は入って来ます。おカネが潤沢にあるに越したことはないわけですが、夫婦二人で暮らす、あるいは、一人で暮らすについては、なんとかやりくりという面はあります。それは子育てをしているときとは大違いです。子育ての最中は子供の教育費と食費が家計のなかで絶対で、そのために働いているといっても過言ではないわけですが、子供の独立後はそれなりになんとか、という面もあるわけです。

自分の時間はやることが沸いてくる

時間が余るとやることがなくて辛いだろうと一般的によく言われます。しかしながら、そもそもテレビを見ているだけでも結構一日が過ぎてしまうということもいえます。基本的に全てが自分の時間になって、好きなことや趣味、習い事や、仲間の集まりなどをやり始めると時間がいくらあっても足りない、となります。現役のときより忙しいという人も少なからずいるのです。

名刺よサヨナラ

しばしば男は名刺がないと生きていけない、ということも言われます。たしかにそういう面はあります。ただ名刺が万能かといえばそうでもありません。とくに同窓会です。40代の同窓会が辛いのは名刺交換があるからです。50・60代になると同窓会が増えたりしますが、それは徐々に名刺交換がなくなるからいいということもいえます。とくに60代になると名刺交換をする人たちは隅でこそこそやっている、という場面もみられます。同級生のドロップアウト話を肴に「大変だったネ、オレは会社にいたけど大変だったよ」と楽しく同窓会ということにもなります。

過去がそもそもあまり楽しいとは限らない

現役のときに余程いい思いをした人や栄光のあった人は別として、現役のときの話は楽しいこともあればそうでないことも多くあるわけです。現役でよくもわるくも日々ハリのある生活をしていると、これがなくなったらさぞ寂しいだろうと思うわけですが、なければないで結構気楽になるという面もあるわけです。少なくとも日々楽しいとばかりもいえなかった現役のときよりは、健全で気持ちがいいということもいえるわけです。

それなりに健康だったりもする

定年後は、腰痛や関節痛はじめ体が辛く、すぐに要介護状態になるのでは、という印象もあります。たしかに腰痛や関節痛は誰しもが多かれ少なかれ抱えていたりします。ただ、以前の高齢者と違うのは、それらが意外に治ったりもする、ということです。現在、そのまま放置して家で寝ていて寝たきりになる、という一昔前の高齢者のような人はむしろ少数派といえるでしょう。多くの人は、なんとか治したいと思い、サプリメントを飲んだり、整体院へ行ったり、病院へ行ったりして、なんとか治そうとし、完治はせずとも、それなりになんとかなっている、というところだと思われます。治らない整体院はヤブ医者ということで、なんとか治るところへ行こうとします。
要介護も、すでに75歳以上の後期高齢者で要支援まで含めた要介護者がおよそ3割であり、残りの7割はそれなりに元気といえます。とりわけ定年の年代になれば、親の介護の面倒を見ている経験から、自分はなんとか要介護にならないように、ジムやヨガに行ったりするわけです。

毎日頑張らなくてもそこそこ楽しい

現役時との最も大きな違いは、毎日頑張らなくてもいいということです。配偶者を除けば誰に何を言われるわけでもないので、毎日頑張るということでもなくマイペースでできるということです。しかも基本は自分の時間なのでそれなりに楽しくやれるわけです。

こうしたことが、前述の調査結果、すなわち、リタイア後は「意外と楽しい」「意外と気楽」「会社がないのは気が楽」さらには、「経済的にそれなりにやっていける」という割合が60・70代で高い、という傾向の背景、といえます。

定年後の第3の資本は「コミュニケーション」

定年後の2大資本は健康と経済です。2大不安の裏返しでもあるわけですが、健康と経済がなんとかなれば、定年後の生活もまずまずということはいえます。とはいえ「おカネが沢山あればあるほど幸せになれるのか」ということもいえます。定年後おカネがあふれる程あるとどうなるかといえば、かなり高齢になった時点で息子や娘が手のひらを返したように世話にやって来て、その後血みどろの遺産相続争いが起こるということにもなりかねないわけです。
片方では「独居老人・孤独死」という社会課題もあります。とくに男性に多い。それを避けるためにどうすればいいのか、多少健康やおカネに不安があっても、それなりに楽しくできる方策はないのか、それが第3の資本「コミュニケーション」です。とくにこの年代で大事なのは「気のおけない仲間」です。学校や会社ではないので、無理にソリの合わない人といる必要は全くないし、集団行動のなかに無理にいる必要もないわけです。それは夫婦二人の場合もあるし、1~2人の友人の場合もあります。筆者の周りでも数十人の仲間と楽しくしている人もあれば、 1~2人の親しい友人とだけ会いたいという人もいます。ただそういう仲間がいれば、お互いに困りごとを話したり助け合ったりということもできます。楽しく語り合う場を持つだけで日ごろの不安が和らぐということもあります。

リタイア後の最高の贅沢

定年後・リタイア後の最高の贅沢は何でしょうか。それは潤沢なリタイア後資金を持って、豪華なヨットに乗ることなのでしょうか。一部の富裕層でそういうことをすることを否定するものではありませんが万人向きとはいえません。私見ではありますが、リタイア後の最高の贅沢は「平日の昼間から気のおけない仲間とビールで乾杯」ではないかと思います。健康が気になれば筆者もそうですがノンアルコールビールで乾杯です。平日は時間に縛られがちだった現役時に対し、平日の昼間から楽しく乾杯ができる、というのは至福のひとときということがいえます。長い間働いてきたご褒美ということもいえるでしょう。それを気のおけない仲間とというのがゆたかな時間を持つことにつながります。

意外と楽しい深中19期同級生の会

意外と楽しい定年後のいい事例として筆者の同級生による「深中19期同級生の会(同窓会有志)」の集まりをご紹介します。これは東京都世田谷区立深沢中学校19期卒業生(1967年卒業)の同窓会の集いです。一年生のときに東京オリンピックがあり、二年生のときにベンチャーズが流行ってエレキブームが起き、三年生ときにビートルズが来日しました。公立の中学校なので、そもそも様々な社会階層の生徒がいました。卒業後の進路も中学を卒業してすぐに働きに出た生徒もいれば、高校から大学へ進んで中央官庁に入った生徒や起業してスタートアップ企業の社長になった生徒もいます。もちろん半分は女子生徒であり、多くは専業主婦となりました。こうした家庭環境も職歴も様々な卒業生によって、子育てが終わりかけた50代から同窓会の集まりが盛んになったのです。とくに、60代を超える頃からは、時間もできたために私的な同級生の集いとして、ますます盛んになりました。

この会の幹事が佐藤孝行さん69歳です。高校卒業後、オーナーシェフとして地元の世田谷区桜新町でピザハウスを営んでいました。このピザハウスに40代を過ぎて同級生が集まるようになったことが始まりです。佐藤さんはピザハウスを50代で畳んで実質的にリタイアし、その後は時間の融通のきく通信会社の機器設置業務をしながら有志の集いを楽しく企画運営しています。

その集いはなんと、年に6回も実施されています。正月の七福神巡りに始まり、春の完歩会、初夏のうたの会、秋の旅行、晩秋の古道探訪会、そして忘年会です。毎回20人前後が集まってきます。この集いの特長は、なんといってもその経歴が多種多様だということです。中学を卒業して職人になったメンバーもいれば、著名企業の社長を経験したメンバーもいて、フラットに楽しく参加しています。いわゆる勝ち組負け組というような現役時の括りがなくなり、「こいつ職人としてスゴいんだぜ」というようなことで、中学生のときの横並びの関係に戻れるということが実に楽しい会となっています。しかも男女共学なので、女性も多く参加し、元男子生徒としては、中学生のときはあまり話もできなかった当時の女子生徒と楽しく語れるということもあるわけです。

年6回の各会の企画・下見・実施については、多くのメンバーが趣味の知識や旅行会社勤務経験などを活かしながら手伝っています。また、そうしたメンバーの経験も活かして記念誌や新聞も出し、ついには会のうたもつくって自主制作CDも出しました。

そのなかでは、ガンで闘病中のメンバーとその奥さんを励まし、他界後は皆で霊園に集まって見送ったこともありました。
今はコロナで集まり難い状況ですが、ポストコロナでまた再開です。

これから70代・80代となって行きますが、人生100年、100代まで引き続き、楽しくやって行きそうです。

それは人生100年時代といわれるなか、若い世代にとってもひとつのロールモデルになるのではないか、と思われるわけです。
すなわち50代を過ぎれば、最高とはいえなくともそこそこいい人生が待っているようだ、と思えれば、今は仮にちょっと大変でも、もうひと頑張りしようか、という気持ちにもなるのではないでしょうか。

写真:深中19期同級生の会

団塊世代は第一次リストラ世代

深中19期同窓会有志は広義の団塊世代(1947/昭和22年-1951年/昭和26年生)の一番下です。真正団塊世代(1947/昭和22年-1949年/昭和24年生)はそのすぐ上の世代です。しばしば、団塊逃げ切りなどと揶揄されて、団塊世代は、一番いい時期にサラリーマン生活を送って、退職後は年金生活という逃げ切り世代だと言われます。また、その年金は若い世代が払っているということで、一部の若者の間からは憤りの声も聞かれます。

しかしながら、実際にどうなのか、といえば、団塊は第一次リストラ世代といえます。つまり、サラリーマン生活の最後で50代だったころに、企業で最初の「リストラ」がありました。まさに年功序列でいよいよ出世だというときに、「年収半分になっちゃったんですよね」とか「子会社に行かされて、これってリストラなんですかね」というような話をよく聞きました。団塊は人数が多かったのですが、会社も流石にその分のポストを用意するというような余裕はなくなっていました。逆にどうやって上に上げないか、どうやって人事をスリム化して行くか、どうやって若い世代中心の会社にして行くか、という現在まさに進行中のことが会社のマネジメントの腕の見せどころになって行きました。「一生懸命働けば会社は報いてくれる」という高度成長期の神話がガラガラと崩壊し始めたのが団塊の世代のときでした。これに対して団塊世代は早々に見切りをつけて、「自分の生活の充実」に主眼をおくようになりました。それがリタイア後も続いています。

つまり、もちろん人にもよりますが、団塊の世代は、会社でリストラにあったとしても、会社で出世しようとしまいと、「自分の生活を充実させる」ということで、それなりに楽しくやれる、ということを示してくれているロールモデルだ、ということもいえます。

いろいろあってもリタイア後は意外と楽しい人生100年時代

団塊世代のようにリストラに会って残念なサラリーマン人生になったとしても、店を開いてうまく行かなかったとしても、人生の最後ではそれなりに楽しくやれることもあるわけです。

そのひとつのカギは「コミュニケーション」であり、少人数でも「気のおけない仲間(または夫婦)」です。その気のおけない仲間は、
-学校の同級生、
-現役時の会社の同僚や仕事仲間、
-子供が小さいときのママ友
そして新しい仲間としては
-趣味仲間
-旅行・学びの仲間、
-行きつけの店仲間
などです。何でも語り合える関係が望ましいといえます。これからは離れていてもリモートで、ということもあるでしょう。

独居老人の問題も男性に多いといえます。女性は独居同士でも仲良く電話をかけ合います。その点オトコは妙にガンコ爺になって孤独死になりやすい。

これに対して、語り合える気のおけないいい関係があれば、最高の人生とはいえなくとも、そこそこいい人生だったと思えることもあるでしょう。それが人生100年時代のファイナルステージといえます

楽しい50代以降は若者のロールモデル

「深中19期同級生の会(同窓会有志)」のところでも記したように、楽しい50代以降は若者や若い世代にとってのひとつのゴールを提示することになります。すなわち、人生は思うようにはいかないことも多くあります。くじけそうになることもあります。勝負に出て負けることもあります。努力をした結果、ひどい仕打ちを受けることもあるわけです。そういうことがあっても、50代以降はそれなりに楽しくやっていけそうだと思えば、希望を持てるわけです。

人生は、学校時代から勝ち組負け組ということが避けがたくやって来ます。しかしながら、50代以降で、それがなくなる、ラグビーのノーサイドのように、勝ち組も負け組もなくフラットになる、ということは素晴らしいことです。とくに60代以降の同窓会が楽しいのは、出来る子出来ない子で疎遠だった関係、さらには社会でいわゆる勝ち組負け組といわれて辛かった関係にあまり意味がなくなり、肩を組んで楽しく語り合うようになる、ことがあり得るということです。

それは次の世代の参考になるモデルを提供しているといえるでしょう。その意味では中高生をはじめとする若者や現役世代にとっても思い切ってチャレンジして行く、仮にそれが思うように行かなかったとしても、最後は誰でもそれなりにいい人生が待っていると思えば、安心して挑戦できるといえるでしょう。