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70代が変わるニューセブンティ

団塊によって70代が現役生活者に

イメージ:70代が変わるニューセブンティ

70代は後期高齢者

70代は、これまで、社会的にも人生という意味でも霞んでいく人たちでした。いわゆる高齢者と呼ばれる人たちです。とくに75歳からは後期高齢者と呼ばれ、要介護になる人たちとみられています。会社からの退職が60代だとすれば、社会からも退場するのが70代でした。必然的に消費者としても終わる人たちでした。

団塊世代が70代に

団塊世代がいよいよ70代となりました。とくに真正団塊といわれる1947年(昭和22年)-1949年(昭和24年)の3年間に生まれた人たちは、ちょうど71-74歳となっています。団塊世代が70代になるときに、その上の世代と同様に、団塊も萎んでいく可能性と、団塊が70代を変えて行くという2つの可能性があったのですが、いまや後者になりつつあるということがいえます。

例えば、団塊世代のトップバッターのお二人はたけしさんと高田純次さんですが、引退どころかお二人の出演される番組は視聴率がとれるというところです。また、同じく団塊世代の矢沢永吉さんについては「70歳の現役ロックシンガーが日本に初めて誕生する」(日経新聞2019年9月8日)という紹介がされています。また、南こうせつさん、井上陽水さん、武田鉄矢さん、谷村新司さん、小田和正さんなども団塊世代ですが、大活躍されています。

実は、その上の世代はプレ団塊世代ですが、 70代半ばから後半です。後期高齢者という括りになり、一般的なイメージとしては要介護者というところですが、吉永小百合さん、阿木燿子さん、タモリさん、吉田拓郎さん、宇崎竜童さん、桂文枝さん、日野皓正さん、石川次郎さんという方々がおられ、 70代全体がいま大きく変わろうとしているといえます。

いまの70代はニューセブンティ

こうした現在の70代を「ニューセブンティ」と呼んでいます。もしろん片方では75歳以上で要介護の方もおられるわけですが、片方では今までにない70代、とても高齢者とは呼べない70代もどんどん出てきて、いまや、 70代が大きく変わろうとしている、といえます。今までは70代といえば要介護者が中心的なイメージだったかもしれませんが、プレ団塊世代と団塊世代が70代となったいま、これからは「ニューセブティ」が主流になりつつあるといっても過言ではないといえます。

そのことは別項でも紹介しましたが、「要介護率が下がる」ことを意味し、今までのように病院にもかからないとすれば、社会保障費全体の低減すなわちより若い世代の負担を減らすことにもつながります。

もちろん要介護者がケアされる必要のあることは論を待たないのですが、

  • 仮に要支援になっても、ジムやヨガ第一世代である団塊世代は、リハビリで要介護度も低下ないしはずれるようにする
  • 同世代同士でケアし、若い世代や子供家族の負担を減らす

ということも考えられるわけです。さらには、全体の要介護率が下がることで、「要介護者にはより厚い介護が可能になる」といえます。その意味では介護自体も変化して行くということが考えられます。

さらに言えば、こうした「ニューセブンティ」がより若い世代を支援して行くことも望ましいといえます。今までは、社会の受益者であった70代がむしろ支える側に回って行くということです。少なくとも、医療・介護の世話にならないようにするために、サプリメントを飲んだり、ジムやヨガを続けたりすることは、若い世代の雇用をつくり、経済を活性化させることになるわけです。

図表:大量の社会保障費の受益者→大量の消費者

2025年へ向けた二つのシナリオ

真正団塊世代が全て後期高齢者になる2025年が、2025年問題といわれますが、そこに向けて二つのシナリオが考えられます。ひとつは以下図の<シナリオA>で人口ボリュームゾーンの団塊世代がこれまで同様に弱者・受益者としての高齢者となり、そのことで、大量の要介護者・老人病が生まれるというシナリオです。社会保障費増大として一般に考えられているシナリオといえます。問題はその多くをより若い世代が負担しなければならず、そのことによって「辛い日本」になる、ということです。

もうひとつのシナリオは以下図の<シナリオB>で団塊世代が自助で介護予防をし、要介護になった団塊世代も互助で同世代として介護して行くというシナリオです。そのことでより若い世代の負担を軽減するとともに、サプリメントの摂取やジム・ヨガなどに行くことで若い世代の雇用を創りだすということで、さらにクロスジェネレーションで若い世代を応援することが望ましいといえます。そして役生活者=消費者として、旅行や外食も含め多くのビジネスも活性化させていく。そのことで「活力ある日本」を生み出すということです。

どちらが望ましいかは明らかといえます。日本は岐路に立っているといえますが、どちらになるかはひとえに生活者ひとりひとりの選択にかかっているといえます。

図表:シナリオA・シナリオB